相槌を打つ

今日のブログは私が所属しているサークルの先輩によるものである。

(執筆ありがとうございます!!)

 

相槌適当だねとよく言われる。
相槌適当だなとよく思う。
至って無意識の産物だ。相手のする話のリズムを崩さないように、来るべきところで呼吸と脈を乱さないような相槌を打つ。それはどこか、バンドによるセッションのように、生の楽器のスリリングな重なり合いを楽しむ行為であるように思う。しかし、僕は楽器を人と演奏し、音が重なり合って曲が生まれていくさまを経験したことがなく、これはあくまで想像上の比喩に過ぎない。逆説的に言えば、僕は十分な演奏経験がないゆえ相槌も下手なのかもしれない。

そもそも相槌とはなんなのか。
「これこれこういうことがあったんだよねえ」
「へぇ、まじか」
「それでこれこれそうなってさぁ」
「うんうん」
「でもってこれこれこうだったんだよ!」「え?それはやばい」
相槌に意味などない。それがあろうとなかろうと夢中になって話す相手から引き出せる情報はさして変わらない。相槌とは、相手が心地よく滑らかに話す一種の緩衝材あるいは潤滑油として時折横から差し込まれるお節介な槌に過ぎないのだ。
どれだけ下手と言われようと僕はさしたる意味もなく相槌を打ち続けるだろう。もちろん相手の話を最大限の意識を向けて聞いている。相槌を打つこと、人の話のBPMを身体的に計測し、脈を打つようにリズムを合わせるということに、さしたる音楽経験のない僕は、仮構的な音楽の喜びを感じるからだ。 

へぇ。